年を重ねることによって嗜好に変化が出てくる。
体調を整える方法も若干異なってきた。
最近、涙もろくなってきた。しかし感動を受けることが少なくなったような気がする。
そもそも感動とはどういう精神状態になることをいうのだろうか。
何年か前にバドミントン仲間と岩手県に旅行をした。
岩手県は岩が切り立っているリアス式海岸で有名だ。
岩手の南部の碁石海岸に立ち寄った。
海岸に4、5人のお年寄りの船頭さんが客待ちをしていた。
船頭さんの勧めで40分ほど、小船に乗ることにした。
船は6人しか乗れない、ちっぽけな船だ。
お客は私たちしかいない。
おじさんと値引き交渉をした。
そんなに真剣な交渉ではなかったが、船1隻1000円負けて貰えることになった。
お金は降りてからでいいと言う。
沖に出た。救命ジャケットも身につけた。
岩と岩の間を通るせいか船が物凄く揺れた。
小さな船が海面から離れてジャンプする。
水しぶきが飛ぶ。怖くて手すりにしがみつく。
景色どころの話ではなかった。
大声を上げて降ろしてくれと言いたかったが手遅れだった。
折り返し地点は波が穏やかだった。
帰りも、また大変なことになるのかと覚悟をした。
帰りの船は波の向きに漕いでいたので揺れが少なかった。
陸に上がった。言葉に言い表せない心地よさが通り抜けた。
とてもお金を負けてくれとは言えなかった。むしろチップを上げたいくらいだった。
これも一種の感動だ。
感動探しは決して楽をしては得られない。エネルギーがいる。
最後に素晴らしい詩を紹介しておしまいにする。
1982年当時3歳だった田中大輔さんの作品です。題名は『ママ』です。
 あのねママ
 ボクどうして生まれてきたのかしっている?
 ボクね ママにあいたくて
 うまれてきたんだよ

(2012.01.24 17:00)
2012.01.24 Tue l 出会い l COM(0) l top ▲
先週、長兄の連れ合いが82歳で亡くなった。
3年程、入院していたが苦しみからやっと解放されたというところか。
姉が我が実家に嫁いできたのは昭和26年。
結婚式は実家で挙げた。
50年ちょっと前のことだが、どうやっても思い出せない。
私は両親、兄姉の死に対面してきて悲しい思いを何度かしてきた。
布団に横たわっている姉さんの姿を見たら思わず涙が出てきた。
今回、また悲しい思いをしたのです。
姉さんには二人の娘、直に60になろうとしているが不憫でたまらない。
昭和26年の日本国は独立していなかった。
そして貧しかった。
我が家は農家でいながら食べるものに不自由していた。
食べるものはほとんど供出していたからだ。
現金収入は僅かだった。
衛生状態も悪かった。
そんな中でも姉さんはいつも笑顔で私たちの面倒を見てくれた。
姉さんが実家に帰っていないときは、さびしかった。
姉さんに叱られた記憶がない。
その姉さんに「ありがとう」と言うこともなく別れてしまった。
人はなんで、こんな悔いを積み重ねてばかりいるのだろうか。
(2012.01.18 17:00)
2012.01.18 Wed l 家族 l COM(0) l top ▲
今年も成人式に参加できた。
末席の実行委員として、4年連続参加。
越谷の新成人は約3000人。
11会場に分散して開催。
私たちの会場から声を掛けた新成人は337人。
出席者は80%。
遅刻者は4人。
この数字は立派。
天気も良く、トラブルもなく式は2時間で終わった。
女性の着物姿は華やかで美しい。
怖いハプニングを心配していたが、私が参加した4年間は何も起こらなかった。
1人が壇上に上がってアジッタ青年がいたが誰も乗らなかった。
新成人の司会で式が始まった。
来賓の祝辞は実行委員長と市長と市議会議長からあった。
市長と議長は会場が11もあるから、本人の出席は難しい。
代読は心が入らない。
挨拶文も通り一辺倒で長い。
悔いのない人生を送って欲しいとか、絆の大切さを話されたが、どれほどの人が「そうか」と思っただろうか。
こんな成人式をしていたら出席率は落ちるばかりだ。
難しいかも知れないが、成人式に出て良かったと思って貰える式を考えたい。
(2012.01.10 18:30)
2012.01.10 Tue l 文化 l COM(0) l top ▲
72回目の新年を迎えました。
ネットに72という数字は縁起がいいと出ているが、どうしていいのかは分からない。
私は縁起をかついだことがない。
42という数字も気にならない。
ピンチになったときも神頼みをしたことがない。
ここは矛盾だが神仏に手を合わせることはある。
亡くなった母に「母さん、俺頑張るから見ていて」と話をすることがある。
話は変わるが先月、知合いからアマリリスの植木鉢を貰った。
花は咲いていなかった。
幹の先に大きな「つぼみ」があった。
長さは30センチぐらい、1本の幹につぼみが3つずつあった。
葉っぱはない。
ガラス越しの日なたに出して欲しいと、あったのでその通りにした。
今にも咲きそうになったとき、つぼみがカーテンに当たってぽろり。
慌てて幹にくっつけたが後の祭り。
アマリリスには悪かったと謝った。
落ちたつぼみを小さなグラスに水と一緒に入れた。
写真に写っている通り、花になるのは4、5日遅れたが、見事に咲いたのです。
不思議なのはグラスの花の方が、鉢植えより4、5日長く咲いていた。
ハンディを背負った花の生きようという気持ちが形に表れたのです。
私も最後のゴールを迎えるとき、しっかりとした姿で長生きしたいと思った。
アイリス
画像の上をクリックすると画像が大きくなります。
咲いている花の右側中央にグラスに挿したつぼみ。

可哀想なアイリス
そうだ、新年のブログは、このアマリリスの話にしようと思ったときは
花が枯れようとしていました。
でも花は、親父、俺の話をブログに書いてくれよと、最後の哀願をしたのです。
(2012.01.02 12:30)
2012.01.02 Mon l 生活 l COM(0) l top ▲
農村医療を確立した外科医師。
名前は若月俊一(1910〜2006)。
若月医師は「予防は治療に勝る」との考えのもとで全国で初めて集団検診を行った方です。
先週、知人から若月医師のドキュメンタリー映画が中野の小さな映画館で封切られているとメールが入った。
映画の題名は「医す者として」
ルビがうまくふれないが「いやすものとして」
若月先生のことは子供の頃、母親から良く聞いた。
東京の医師が長野県の佐久にやって来て、農民のためによく尽くしてくれていると聞いていた。
その若月先生の記録映画を見ることが出来たのです。
期待に違わず素晴らしい映画でした。
若月先生が佐久にやってきたのは終戦の年。
馬車で往診していました。
当時、医師にかかると云うことは死ぬときだったと語っている。
ところが若月先生に診て貰うと元気になって帰って来たので農民は驚いたのです。
農民は体力の限界を超えて働かなければ生きていかれなかったのです。
不衛生の例を昔のフイルムで紹介。
私はフイルムの光景を何の不自然さも感じなかった。
農民は便を調べて「回虫」を見つけて貰うことを理解出来なかったのです。
若月先生は「農民とともに」の精神で住民の中に積極的に入り込んで行ったのです。
晩年の若月先生は「二足のわらじ」を目指せと若手の医師に言い続けるのです。
二足とは、よく分からなかったが、地域密着の医療と最先端の医療と理解しましたがどうだったでしょうか。
この二足は相反することなので非常に難しいことだと思います。
映画の最後は、民主化なくして医療は存在しないと云って終わりました。
これも十分理解出来なかったが、何か胸に熱いものが流れて来ました。
(2011.12.26 22:00)

追記:日本一平均寿命の長い都道府県は何処だと思いますか?
    健康保険料は都道府県によって違っています、一番安い所は?
    共に私の古里の長野県です(嫌らしい追記になりました)。
   
2011.12.26 Mon l 健康 l COM(0) l top ▲